コピーを本物だと思うなんて,そんなことをしたら,きっと彼女は怒るだろう。でも彼女のコピーを愛さないなんてできない。だから,ボクはコピーをコピーとして愛する。それが,いちばん誠実であると思う。
quote:ある調査では,2122人のうち15%が過去半年にゲームをコピーしたと認めた。バックアップを取るためや複数のコンピュータで同じゲームをするため,友人とゲームを共有するためなどに使われている。それに対し,ネットを使って認証をし,別のコンピュータで実行されたときには制限のあるデモ・モードして動作するプロテクトを開発している企業がある。
ボクが彼女をコピーしたことに,彼女はなにも云わなかった。いまの時代なら人のコピーを作ることはそんなたいそうなことではなく,やり方も簡単だ。本人の許可さえ取れれば,すぐにできる。最初は,いろんな人から反発の声もあった。まったく同じ人間がふたりいることになり,場合によっては犯罪に使われることもある。人間の尊厳がどぉとかこぉとか云う人も多かった。が,人は欲望には正直なものだ。知らない誰かと浮気されるぐらいなら,自分のコピーで気持ちを充たしてくれてた方がいいと云う人が大勢を占めた。自分が休みだって,その日に彼女が休みだとは限らない。時間の都合のつかないふたりにとって,コピーはそんなに変なことではない。コピーは単独では成り立たない。彼女がいて,彼女が認めたから,コピーがいる。それ以上の存在にはなりえない。
音楽CDやDVDビデオをコピーする人とそれらの売り手が激しい言い争いをしていたのは,もう遠い昔だ。いま思い返すと,愚かな言い争いをしていたものだ。実際にコピーしていた人は気づいてたが,実際のところ,コピーで同じものができるということはない。コピーはどうしたってコピーでしかなく,コピーとしての価値しかない。本物なんかぢゃなくてもいいと云う人もいる。コピーで十分だと云う人だ。そこそこ見た目はかわいいボクの彼女のコピーなら,それで満足する人もいるだろう。それも,ありだと思う。けれど,ボクはコピーだけだったらやるせなく思う。本物がいないのに,そのコピーがあっても,意味はない。それは,良心などではなく,ただの欲求だ。その欲求を掘り出せるかどうかが音楽CDやDVDビデオにも最終的に求められ,それを掘り出せないならそんなものを作るのをやめればいいという結論に至った。それで成り立たない産業など,すぐに潰れる。どうせ潰れるのなら,いま潰した方がいい。それが,多くの人の結論であり,彼女のコピーを愛せる,いまのボクの結論でもある。
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